2017.7.20

日野原重明さん死去」

 

100歳を超えても現役医師として活躍した東京聖路加国際病院の名誉院長で文化勲章受章者の日野原重明さん105歳が18日呼吸不全のため都内の自宅で死去した。日野原さんは経管栄養や延命措置は望まず、自宅での療養を選択、家族に見守られてなくなったという。

少年期を神戸で過ごし、京都大医学部を卒業、1941年から聖路加国際病院に勤務、早くから予防医学に取り組み、S54年に同病院が人間ドックを先駆的に開設するのに携わった。

「習慣病」を提案し、後に「生活習慣病」に名称が変わる契機を作ったとされる。米国留学などで学んだ医療の在り方や医療者教育を取り入れ、「患者本位の医療」を提唱。末期患者の生活の質を上げるケアの重要性を訴え、看護教育の充実に努めた。聖路加国際病院、院長、同大学、学長を歴任、国際内科学会会長も務めた。2000年には全国の75歳以上の元気な人に呼び掛けて「新老人の会」を設立。高齢者が積極的に社会に参加、貢献する意義を説いた。90歳で刊行したエッセー集「生き方上手」がベストセラーに。ひょうひょうとした口ぶりで「人はいくつになっても生き方を変えられる」などと高齢者論や人間論を語る姿に、国内外に多くのファンが生まれた。100歳を超えても講演などで各地を飛び回り、長寿社会の元気な老人を象徴する存在だった。東京大空襲や地下鉄サリン事件では多くの被害者を病院に受け入れた。1970年にハイジャックされた「よど号」に乗り合わせた事も当時話題となった。この事件がきっかけで残された命を社会のために使う、という使命感を強く持ったといいます。

 

日野原先生の名言の一部を紹介します。

 

・人間にとって最も大切なのは、命の長さだと思っている人は多い。しかし、私が出会った人を振り返ってみて、その人の命が素晴らしい命だと思える人においては、ごく少数の例外はあるにせよ、命の長さはあまり問題ではない。

・生きがいとは、自分を徹底的に大事にすることから始まる。

・鳥は飛び方を変えることはできない。動物は這い方、走り方を変えることはできない。しかし、人間は生き方を変えることが出来る。

・自分のためにでなく、人のために生きようとするとき、その人は、もはや孤独ではない。

・私たちに与えられた恵みを考えてみれば、どんな逆境にあったとしても、受けているものの方が与えるものよりも多い事に気づく。受けた恵みを、どこかで返そうと考えたいものである。

・自分以外の事に自分の時間を提供するためには、周りの人から孤立して、自分だけの世界に閉じこもっていてはいけない。人々と共に生きる世界に自分を置き、周囲が今何を必要としているのか、自分に何ができるのか絶えず考えながら毎日の生活を送る必要がある。

・老人のケアは苦労も多い。しかし、いつの日かあなたも、あなたが老人にしたようなやり方で、ケアされる日が必ず来るのである。

学生時代から多くの事を学ばせていただきました。ご冥福をお祈りいたします。

            上毛新聞、NHKニュースweb