2018.03.02

「虹」

3月、卒業の季節となりました。
卒業というと、小中高等学校の卒業を一番に思い浮かべます。
しかし人生においての卒業は何回も訪れるのだと思います。
私が幼いころ、どうすれば虹のもとに行けるのか、虹を見るたびに思っていました。
3/1 昨日は雨上がりとともに虹が安中方面に現れたのを皆さんはご存知ですか。
卒業式の前に虹を見て、幼いころの疑問をふと思い出しました。
黒井千次氏のエッセイに、どうすれば虹の根元に行けるのか、というエッセイがあります。虹の根元には決してたどり着けないかもしれない。でも、わくわくした気持ちでその虹を見上げ、虹の根元に行けるかなと思いながら歩きだし、そんなわくわく感を持ちながら楽し気に歩き続け根元を探す、そんな思いを感じながら人生は続いていくのでしょう。
私たちは、日常の生活の中で、ふと疑問に思ったことをどうしているのでしょうか。また、子供の頃に思った疑問で、解決されないままになっているものはどれ位あるでしょうか。その中で、いくつの疑問に答えを見つけられたのでしょう。何気なく自分自身と向き合ってみると、驚くほどに数多くの疑問をそのままにしてきていることに気がつきます。一方で、ふとした拍子に解けた疑問もあります。ちょっとしたきっかけで手に入れた疑問を解くこと。疑問を解きほぐしていくと、自分の目の前に新しい道が開けていきます。
子どもの頃、虹を見た人は虹の根元に行ってみたい、虹の根元がどんなふうになっているのか知りたいと思った人は少なからずいると思います。
虹の根元がどんなふうになっているのか、それを自分の目で確かめる方法は何か、とい質問を大人に投げかけても大人が子どもの満足する答えを与えるのは難しいでしょう。たとえ答えが返ってきても根元などない、遠いので人間には行き着けない、という答えでは満足してはいけないのです。だって虹は求めれば遠ざかる、偶然にしか見つけられない、探すと罪になるから。
子供が何十年もかけて追い求め、初めて謎を解くカギを与えられた疑問、大人は子供が自分で見つけるその姿を見守り続けることを教えられる疑問、その過程がそれぞれの成長につながっていくのだということがこの疑問の答えなのかもしれません。
生きていくこと自体は多くがぐずぐずで、グタグタです。それでも、人生には素敵だなと思える瞬間が確実にあり、素敵だと思える瞬間があるからこそ人生は続いていくのでしょう。
疑問をもったこと、その答えを探しながら学習し解いていく、そして疑問の答えが見つけられたとき、人は素敵な瞬間だと思えるのでしょう。そんな素敵な瞬間をいくつになっても子供にも感じてほしいし、自分も感じていきたいと思えた朝の虹の出現でした。皆さんもそんな瞬間、一瞬一瞬を大切にしていってほしいと感じています。

 

引用 黒井千治 エッセイ どうすれば虹の根元に行けるのか