2017.10.28

「富岡市が企画制作した映画」

富岡市が企画制作した映画「紅い襷~富岡製糸物語」は歴史ドキメントを織り交ぜ、3年前に世界遺産となった富岡製糸場の価値や魅力を伝えている。
ドラマは1873年(明治6年)富岡製糸場でフランス式器械製糸技術を学んだ、長野県松代の女工(和田英)の回想録「富岡日記」を基に構成されている。
明治維新後の鉄道もない時代、松代の女工たちは歩いて上州富岡へ向かった。和服姿の一行が和美峠から見下ろす富岡製糸場の煙突を望む場面から映画は始まる。

世界遺産登録の前から「明治の富岡、群馬を抜きに日本の近代史は語れない」と言われていました。女性の活躍、国際交流、高品質な物がづくりなど現代に通じる先進的な活動が明治の富岡で繰り広げられていた。映画評論家の白井住夫さんは「歴史上の事実そのものに感動した」「近代日本を支えた製糸場や絹の歴史には、現代人の心を揺さぶる宝物が詰まっている」と話している。

私はこの記事を読み「あゝ 野麦峠」を思い出しました。
「あゝ 野麦峠」は1979年(昭和43年)に映画化され、大竹しのぶが主人公(みね)役を演じた。飛騨から160km離れた信州まで吹雪が荒れ狂う野麦峠を何百人の若き女性が連なり峠を越えて信州の製糸工場までたどり着く場面は圧感でした。12歳前後の女工が信州の製糸工場で厳しくも明るく働く姿が臨場感たっぷりに描かれています。しかし、(みね)は過酷な労働と低栄養状態から結核に罹り働けなくなり製糸工場から解雇されてしまいます。知らせを聞いた兄(辰二郎)が(みね)を背負子に背負い野麦峠を越え家に帰る途中、「飛騨が見える」と一言つぶやき亡くなってしまいます。

日本の貧しく苦しい時代を明治政府が富国強兵に力を入れ外貨獲得のため、うら若き女性を頼りそのか細い手が日本の経済を支えていたと思うと感謝せずにいられません。また、日本の女性の芯強さを改めて感じ、現代の働く女性像の基礎となった映画でもあったと思われます。

上毛新聞記載