「このスラムに研修医を立たせたい③」

 

オレンジ色の女性陣は、ほとんどがボランティアの人らしい。残念ながらルビー・モレノはいなかったが、元気のいいおばさんたちだった。保健師さんたちもいるようで、一緒にスラム街の健康回診に向かう。子どもを中心に栄養状態などを定期的に確認しているようだ。
狭い、異臭の漂う路地。大量の洗濯物の下に、ごみが散乱している。やせ細った犬があちこちにウロウロしている。噛まれるんじゃないかとビクビクして歩く。オレンジ軍団は慣れたもので、子どもに声をかけながら歩く。大人たちがたばこをくわえてカードゲームをしている。中学生くらいの子たちが、ビリヤードみたいな玉突きをしてる。酒を飲んでいる女。ドラッグをくゆらして目がとろりとなっている男。
僕ら一行が通ると、皆、手を止めて、こちらを見つめる。目を合わせる。彼らの目の奥の表情は読み取れないが、僕が恐怖に慄いているのはわかっただろう。怖い。すぐそばに、どぶ川が流れている。増水したら、ここは確実に沈むだろう。死はすぐそこにある。確かに、怖い。しかし、なぜか不思議と変な気持ちになる。
さっき橋の上に立ったときと同じエネルギーを感じる。人間は、こんなところでも生きてゆける。生きてゆかねばならない。清潔で、規則正しく、少々窮屈な国で、人目を気にし、びくびくしながら仕事をしている僕が失ってしまった何かが、ここにあるような気もする。
その何かが何なのか、僕には一生わからないだろう。それが、齊藤君やN子らが追い求めているものなのかもしれない。彼らがスラムを意気揚揚として歩く後姿を見て、思った。

すぐそばを流れるどぶ川が増水したら、感染症の多発は必至。

「あの人たちが、病気になったらどうするわけ?」
帰りの車の中で、僕は齊藤君に質問した。
「あのクリニックにかかるとおもいます」
「お金は?」
「原則、払わないといけませんが、払えないですね、ほとんどの人が。薬もペニシリンとか整腸剤とか、基本的なものは無償です」
国民皆保険のような制度を目指して1995年にPhilippine Health Insurance Corporation(フィルヘルスと呼ばれる)公的保険制度が設立された。また、医療機関も公的病院は、1次、2次、3次と整備されているようだ。現状は、保険の加入率は約70%、保険でカバーされるのは入院医療の一部のみらしい(1)。
しかし、サンラザロ病院の医師たちも、ここのスタッフも、フィルヘルスを自慢していた。運転手のポールも満足していると言っていた。2月19日に民間調査機関パルスアジアが発表した世論調査では、次期大統領力候補者に期待するのは、「賃上げ」に続いて「違法薬物対策」36%が2位、以降「物価上昇」30%「汚職対策」30%「貧困削除」29%と続く。医療問題は上位に出てこない。満足しているということなのか、国民性なのか、関心がないのか。
「日本の医療は何事も行き届き、贅沢ですよね」
N子はどこまでも続くスラム街を車窓から眺めて、誰に言うともなく、つぶやいた。そうなのだ、日本のパブリックヘルスは世界一と言われている。しかし、なぜ、日本人は満足度が低いのだろう。たった43%の人しか、日本の医療体制に満足していないというデータがある(2)。

そうかといって、日本人が皆、フィリピンに来てスラム街を見て、自らを振り返るべきだなどとは思わない。あまりに国情が違いすぎる。ただ、若い研修医が来て、ここに立つ意義は十分にあるだろう。未来の日本を背負ってくれる研修医が、ここに来たら、いやでも日本を意識するだろう。フィリピン1カ月研修の目的は、何も難しい感染症なんて勉強しなくても、ここに来るだけでいいんじゃないか……。
「だよな、齊藤君」
返事はなかった。助手席で、ぐっすり眠っている。N子も目を閉じていた。
<そうだよな。なんでも食べてどこでも寝れなきゃ、海外では生きてゆけない>
僕はそんなことはできない。日本食を食べて、布団で寝なきゃ生きてゆけない。前日ほとんど寝ていなかったにもかかわらず、ほとんど何も食べてないにもかかわらず、僕の頭の中は常にフル回転で、いろんなことを考えていた。
ポールの四駆もフル回転で、病院に向かっていた。

 

 

若手医師と医学生のためのサイト Cadetto.jp 日経メディカル×DtoD総合メディカル より抜粋